まだ梅の花が咲く3月下旬、高知県大豊町にある碁石茶の生産家、小笠原功治様宅を訪ねました。
2016年11月以来の訪問です。入口にある、こぼれた種から自然に芽生えた茶樹が、ウェルカムツリーのようにお出迎えしてくれました。
入ってすぐの所はヤマ茶が植えられています。あいにくの雨模様でしたが、向かい側の山を望めます。
ヤマ茶に背中を向けると、碁石茶作りの桶が置いてある作業場があります。
まだ見ていない、桶からお茶を切り出す場面をこの目で見たいです。
作業場を通り過ぎ奥に進むと、やぶきたの茶畑があります。約40年前、元々は桑畑だった所に茶の苗を植えて茶畑にしたそうです。また、地元の人達は商品の碁石茶は飲用せず、摘んだ茶葉を煮出して飲んでいたそうです。
やぶきたのアップ。葉が虫に喰われているのは、無農薬の証しです。
小笠原様にご挨拶した後は、道の駅大杉へ。ランチは当然碁石茶膳。碁石茶が練り込まれたうどんと碁石茶の炊き込み御飯、お茶は碁石茶です。道の駅大杉では、碁石茶、碁石茶ようかん、碁石茶せんべいなども購入できます。
400年以上続く伝統的な製造方法で碁石茶を作り、品質を管理し、統一した商品を販売している5軒の生産家で成り立つ碁石茶協同組合は、本場の本物に留まらず、GIマーク取得を目指しているそうです。小笠原様、ありがとうございました。また伺います。
3月下旬、2014年(平成26年)まで霊峰石鎚山の麓で生活していた、石鎚黒茶生産家、曽我部正喜様、テル子様ご夫妻にお会いする機会に恵まれました。山を下りた後の曽我部様ご夫妻にお会いしたく、2016年11月に訪ねましたがお会いする事が叶わなかったので、今回はとても幸運なことでした。
奥様のテル子様は今年87歳。曽我部正喜様は93歳。いつまでもお元気に過ごして頂きたいです。
ご高齢で体調が不安定な為、お会いする為に数日前から準備をして下さっていたとのこと。お心遣いが嬉しいです。徳島の特産品で、旬の宍喰寒茶を頂きました。ほんのり酸味のある香りがします。
平家の末裔である曽我部様は、その文化と伝統を守るべく80余年この地に住み、石鎚黒茶を作り続けていました。当時の写真を見せて頂きながらお話を伺いました。左側の写真は曽我部邸全景。右側の写真は若き日の曽我部様ご夫妻。
石鎚山の集落は、200軒以上あった世帯が戦後は150軒になり、昭和52年には17軒になり学校も無くなり、平成12〜13年からは曽我部様1軒のみとなりました。左側の写真は縁側に座っているご夫妻。右側の写真は茶葉を天日乾燥している様子。
曽我部邸より奥に上がった所に、突然できた滝があるそうです。山に登るチャンスがあれば、見てみたいです。
テル子様には、歌を詠んで頂きました。
『寂れたる 山の懐に幸せを 人も説いてる テレビ放送』
『音も無し 山懐の長閑なる 法螺貝聞いて 郵便を待つ』
『遠く寒山に登れば 石径斜めなり 白雲生じるところ 人家あり』
『峰樹人無し 花自ずから落つ 春巌一路 鳥空しく啼く』
次は、2014年に下山される時詠まれた歌です。
『有り難き 石鎚山に見守られ 幸せに過ぎて山を下り行く 故郷は ああ静かなり さようなら』
1月19日、国の文化審議会は、四国の三大後発酵茶である、石鎚黒茶、碁石茶、阿波晩茶を後世に残そうと無形民俗文化財に選択し、文化庁に答申しました。しかし、石鎚黒茶は現在3社により製造されていて、それぞれ作り方も香味も違います。碁石茶も阿波晩茶もそれぞれに課題があり、その定義が懸念されています。