国指定河越館跡史跡公園と資料館
東武東上線、霞ヶ関駅北口から徒歩15分の距離に、国指定河越館跡史跡公園と資料館(上戸小学校)があります。
河越館とは、平安末期から南北朝時代に武蔵国で実権を持っていた武士、河越氏の館です。「河越茶 鈴木園」の記事にも書きましたが、河越重頼の娘、郷御前が、源義経の正室になっています。
河越館跡史跡公園を囲むフェンスの内側に、茶の木が植えられていました。右の写真の公園の右側の建物は、資料館のある上戸小学校です。
公園内には、当時の様子を示す案内板が設置されています。右の写真は、館の周囲を囲んでいた堀の跡です。幅4m、深さ2m、南北75m、東西100mの四角形に伸びています。
上は塚状遺構。霊廟あるいは納骨堂だったようです。盛り土の上に石を敷き、周囲は溝でした。
井戸跡。敷地内にあった井戸で、囲いが復元されています。
平一揆で敗戦し河越氏が滅んだ後、戦国時代に山内上杉氏が陣営を構えた堀跡です。
他にも発掘調査看板などが設けられています。
公園に隣接する川越市立上戸小学校。現役の小学校の1室が資料館になっています。
史跡から発掘された中国製の天目茶碗(左の写真)と天目茶碗のかけら(右の写真)。
茶臼(左の写真)と茶壺(右の写真)。
茶入れ(左の写真)や瓦室風炉(右の写真)も展示されていました。
入間川が近くに流れている史跡公園周辺は、当時茶畑があり、抹茶(河越茶)を作っていたようです。河越は京都栂尾に次ぐ茶の産地でした。出土した品から、河越氏が茶を好み、喫茶文化を広めていた可能性を物語っています。