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2023/03/27??

大黒屋光太夫をめぐる旅 〜 千代崎開国曙光碑、供養碑、若松緑地

千代崎駅から徒歩5分、千代崎海水浴場そばに、千代崎開国曙光碑があります。この碑は2代目で、上部に記された「開国曙光」の文字は、貴族院議員徳川家達公爵が綴り、開国に向けて差し込んだ明け方の光の意味だそうです。昭和34年の伊勢湾台風の影響で、上が欠けています。

千代崎開国曙光碑 千代崎開国曙光碑アップ

また、同じく千代崎駅から徒歩10分の墓地に、大黒屋光太夫ら17人の供養碑があります。1782年に白子を出帆し、消息不明となった神昌丸。遭難して3年後、船の荷主の木綿問屋により建てられました。

大黒屋光太夫ら供養碑 供養碑説明書

供養碑のそばの若松緑地には、壁面に光太夫漂流記が10枚に分けて描かれています。

若松緑地看板 若松緑地壁面

①大黒屋光太夫漂流記 〜 天明二年(1782)十二月九日船頭大黒屋光太夫以下17人が乗り込んだ神昌丸が江戸をめざして白子を出帆しました。②遠州灘で強風にあい、船は難破して北へ北へ流されました。③漂流すること八ヶ月、船は翌年七月、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着しました。

光太夫漂流記1 光太夫漂流記2 光太夫漂流記3

④孤島に漂着してから飢えと寒さの過酷な日々が続きました。⑤この島で三年目の頃、自分達で船を造りカムチャッカに渡ろうという事になり成功しました。⑥カムチャッカ滞在一年半の後、光太夫以下の生き残り六人は、海を渡ってオホーツクに上陸、はじめて東から西へとシベリアの旅路にのぼりました。⑦(シベリア横断)ヤクーツクに着きました。ここは地球上で最も寒い地域で真冬にはマイナス六十度〜七十度にもなりました。

光太夫漂流記4 光太夫漂流記5 光太夫漂流記6 光太夫漂流記7

⑧それから一ヶ月後、光太夫は首都ペテルブルグにて女帝エカテリナ二世に会い帰国を許されることになりました。⑨送還船は、二本マストの木製帆船でエカテリナ二世号と命名され、九月二十五日オホーツクを出港し根室に着岸しました。白子浦出帆以来十年の月日が流れました。⑩光太夫漂流順路図

光太夫漂流記8 光太夫漂流記9 光太夫漂流記10

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