6月上旬、鹿児島、種子島、屋久島の茶畑と茶生産現場を訪ねました。

鹿児島県の施設、農業開発総合センター。

総合センターの前に広がる茶畑で、開発された無人摘採機を見せて頂きました。

鹿児島は10年以内に、すべて無人摘採機に変わるそうです。進化しています。

国立研究開発法人 農業・食品作業総合研究機構 果樹茶業研究部門 茶業研究拠点(枕崎試験場)も見学させて頂きました。建物の後ろのパームツリーが南国らしいです。

入口にある「茶心」の石碑。

石碑の側に、品種の異なる茶樹が植えられています。左の写真は「はるみどり」と「さえあかり」。右の写真は「べにひかり」。

他にも「さえみどり」と「しゅんたろう」(左の写真)。さえみどりは枕崎試験場で育種され、鹿児島で普及している品種です。「べにふうき」と「サンルージュ」(右の写真)もありました。

枕崎の試験場を守る防風林、イヌマキ。かわいい葉をしています。

上の写真は、実生(種)から撒いたインド系統、樹齢80年。

こちらも育種中の畑。新しい品種を生み出すのにかかる時間は10年。個体畑の中で、1つか2つしか新しい品種は育種できないそうです。

サンルージュの赤い茶畑もありました。サンルージュは、レモンを垂らすと水色が赤からピンクに変わる品種です。

きれいな葉です。2に続きます。
明治政府は、東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保まで広がる、信州高遠藩主、内藤家の広大な邸宅とその周辺の土地を購入し、1872年に植物の研究を目的とした内藤新宿試験場としました。1906年には新宿御苑に姿を変え、現在は環境省が管理する国民公園になっています。

苑内には、至る所に明治時代の紅茶製造の痕跡(茶樹)が残っています。
現在の農林水産省と経済産業省に当たる勧業寮から命を受け、作られた茶畑の跡地。

四谷伝習所(紅茶製所)跡地。

国産紅茶の祖、多田元吉が植えたと思われる茶樹もあります。

中央休憩所や翔天亭では、元吉縁の地の紅茶、丸子紅茶を飲む事が出来ます。

明治時代、東京で紅茶が作られていた証しがここにあります。
遅くなりましたがアップします。4月2日は国産紅茶の祖、多田元吉の命日。

毎年丸子で行われている多田元吉を偲ぶ会。2018年は、前日の4月1日に起樹天満宮境内にて行われました。

お天気にも恵まれ、風が少し強かったですが、屋外でも過ごしやすい陽気でした。

多田元吉のお墓に上る階段の途中には、日本紅茶原木が植えられています。

まず、丸子紅茶の生産家、村松二六さんのご挨拶から始まり、

多田元吉翁に献花します。

献花台の後ろには風情のある卓袱台が。多田元吉が鹿児島に指導に行った時、お礼にもらった卓袱台だそうです。楠の木の1枚板をくりぬいて作ってあります。

その後、20種近くのお茶を飲ませて頂きました。下の写真は時枝さんが作って下さったミルクティー。

二六さんの元でお茶作りの修行?をしている、Tさんの屋台もお目見え。

Tさんはこの屋台でチャイを作って下さった他、インド滞在記も話して下さいました。

上の写真は茶葉を練り込んだ26クッキー。お菓子のメニューも盛りだくさんで、まさに口福。二六さん、時枝さん、Iさん、Tさん、萬千吉茶坊さん、ご一緒して下さった皆様、ありがとうございました。